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この作品のタイトルと、ティザービジュアルを見たときは
ハッピーなファンタジー映画かなと思いました。
しかし、本編が始まってまず、見慣れないアイスランド映画、広大な牧草地の背景や言語のせいか…
白夜の違和感と共に暗いフラットな印象で、静かに流れていく物語に吸い込まれていきます。
“羊ではない何か”ってナニ?
という怖いもの見たさの“不気味”なドキドキ感とセリフが少なく、リアリティあふれる映像の新鮮さ
子供を亡くした夫婦の“幸福”をも感じましたし、なによりも“アダ”は、愛くるしくて思わず目を細めてしまう存在です。
物語が進むにつれて目に見えない“恐ろしさ”
そして、想像もしなかったラストシーンに思わず絶句…。
“羊ではない何か”に違和感はなく、実在する当たり前の存在のように感じる妙な錯覚さえおこしました。
観終わって、頭に浮かんだのは…
“人間のエゴ”
それでも精神的な多くの疑問を感じずにはいられませんでした。
深読みすればするほど多くの感想が得られる作品ではないでしょうか。。
この作品のジャンルは?と悩みました。
視点によっては『ホラー』なのか…個人的には『ヒューマンドラマ』にしたい…
結局、決められませんでした(笑)
“うーん…”と唸らせたこの作品「LAMB/ラム」を、ご紹介したいと思います。《ラストネタバレは含みません》
『LAMB /ラム』のあらすじと解説
主人公マリア役のノオミ・ラパスが制作総指揮を務めています。
この作品で長編デビューとなった監督は、ヴァルディミール・ヨハンソンです。
独特な世界観は称賛を浴び、第74回カンヌ国際映画祭のある視点部門で《Prize of Originality》を受賞。
アカデミー賞®国際長編部門アイスランド代表作品にも選出されました。
物語は、アイスランドの山間に住む羊飼いの夫婦イングヴァルとマリアと、羊たちの暮らしから始まります。
ある日、二人が羊のお産に立ち会ったとき…
「羊ではない何か」が産まれてきます。
子供を亡くしていた二人は、亡き娘の名“アダ”と名付け、それを「奇跡の贈り物」をとして大切に育てていきます。
奇跡がもたらした“アダ”の存在は、かけがえのない存在となり、二人のささやかな家族生活は大きな幸せに包まれていきます。
そんなある日、家を出ていた夫の弟が戻ってきます。
義弟は「いったいアレは何なんだ?!」と、“アダ”の存在に否定的でしたが、やがて“アダ”を可愛がるようにもなります。また、一方でマリアへよこしまな態度で接してきます。
白夜の中、家族で騒ぎ楽しんだ後、夫が眠ったその隙に義弟はマリアを誘惑し
「母親を殺したことをアダには話してないのか?」
と、言います。
産んだ子羊(アダ)を探し追い求める母羊を無惨に葬ったマリア。
義弟の言葉が胸に突き刺さります。
そんなマリアは翌日、義弟を連れ出し
「私たちだけにして。」
「アダは、贈り物なの。」
と、一方的に家から出て行くようにしむけます。
義弟が出ていき、再び夫婦と“アダ”の生活に戻ります。
しかし、“アダ”の存在を追い求め、全てを見ていたもうひとつの存在がありました。
その存在は、やがて彼らを破滅へと導いていきます。。
YouTube;シネマトゥデイ
人間のエゴについて思うこと
もしも、この作品のラストが「家族で幸福に暮らしました」といったハッピーエンドだったら…
マリアの「エゴ」に気づくことなく、物語を単純に捉えていただろうと思います。
しかし、大きな「お返し」があり、想像もしなかったショッキングな結末でした。
そこで「人間のエゴ」について少し考えてみました。
「エゴ」ってなに?
「エゴ」とは…
「他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動する」
ということです。
つまり、他人のことなど全く気にもせず、自我を押しとおすような言動。
もっとカンタンに言うと、度がすぎる「我儘」…
それは、誰にでもあることではないでしょうか。
人のエゴなんて、そこら辺りにころがっているものです。
夫婦や家族、恋人、友人同士の間で、お互いに常にありがちなことではないでしょうか。
「エゴ」と「欲望」
「エゴ」は欲望の現れです。
人間は欲の強い生き物です。
また、人類の発展は、欲望があったからこそでしょう。
映画『RAMB/ラム』の主人公マリアの欲望は、娘を亡くし、ポッカリと空いた哀しい穴を埋めることだったと思います。
羊のお産に立ち会い、“羊ではない何か”が産まれてきたとき、即座に、その存在を亡き娘の代わりとして欲し、亡き娘の名“アダ”とつけました。
では果たして…その「欲望」は、罪なのでしょうか?
マリアの想いは、決して罪ではないように思います。
娘を失った母親ならきっと…。
だとしたら…
ラストに登場するあの“生き物”が起こす結末も、彼の「欲望」であって、その想いは罪ではないのです。
人間と家畜という関係でありながら
その「欲望」や破滅的な結末はあまりにもシュール。
この物語が聖書か神話の教訓のようにも思えます。
「エゴ」のタブー
誰もが持ちあわせているエゴには、犯してはならないタブーがなくてはなりません。
本作品の表現するところに「人間のエゴ」があるとすれば、マリアたちが“アダ”を人の子として育てようとしたこと…
それは、自然の摂理に反したことだからではないでしょうか。
そして、報いをうける理由があるとすれば、我が子を追い求める母羊を無惨に葬った行為が大きな罪だったのでしょう。
母羊が、アダが寝ている部屋の外で、「メェー」と泣いている姿が、家畜の羊でありながら哀れにも恐ろしくも感じました。
母羊に対するマリアの表情は、憎しみとも思える不穏なものです。
そこには、悪意が含まれているように感じます。
又、義弟に対して理解を求めることよりも、追い出す行為はエゴと言えるでしょう。
自分の欲望や感情を尊重するあまり
他のものに不利益を与え傷つける行為は
報いを受けるべきタブーなのです。
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生まれてきた“羊ではない何か”は…
夫婦を破滅に追い込んだ“アダ”は…
やはり“タブー”なのでしょうか。。
物語がすすむ中、マリアに同調していた私にとって驚愕の結末でした。
あの“生き物”に本当にショックを受け、罪悪感さえ感じました。
そして、あの姿が悪魔に見えたのは私だけでしょうか。
映画『LMB/ラム』を観終わったとき、観ている側のエゴも感じてしまいました。
独特の世界観をもつ非常に素晴らしい映画です。
是非ご覧ください!
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