【飼い主が体調不良不良のとき】愛犬のケアはどうする?必ずやったこと、そして愛犬との絆

ペットと共に暮らしていても、平穏で楽しい日々ばかりではありません。

昨年の夏、私の人生は嵐に見舞われました。

心が折れそうな状態で、愛犬たちが傍にいてくれたことが何よりの支えでした。彼らの存在は言葉にならないほど心を温め、愛情と責任を噛み締めさせられました。

夏をやり過ごし、短い秋に苦しみ、冬を迎えて、12月なんとか愛犬と共にハッピーな気持ちでクリスマスを過ごし、新年を迎えました。そんな数ヶ月で感じたこと愛犬から得たことをお話したいと思います。

可愛い愛犬

飼い主の辛い気持ち、愛犬に抱える想い

ペットと暮らしながら思いもよらぬ不運や事故、病気に襲われることは一層辛いものです。

昨年の夏は私にとって最悪の状況が続きました。家族との衝突や病気、更に住まいの不具合…度重なる不幸の連鎖のようにも思える事態が起こりました。本当に心が折れてしまう状態。体調も悪く、精神的にも肉体的にも大きなダメージでした。

ブログの更新もままならず、SNS発信など手付かず、なにも出来ない、なにもしたくない…そんな日々に落ち込んでしまいました。

独りならじっと休んでいることもできますが、ペットと暮らしていると、そういうわけにはいきません。そんな時でも愛犬は、いつもと変わらず飼い主の傍に居るわけですから、飼い主として世話は欠かせません。

いつもと変わらず小さな愛犬たちは、私を見つめてきます。ご飯をあげなきゃ!トイレの後始末しなきゃ!重たい体と心で愛犬たちに世話をします。

言葉少なく活気なしの飼い主の傍に居る愛犬は、幸せなのか?不幸なのか?

きっと家中に不穏な空気が充満していたと思います。どんなに笑顔を向けて、優しい言葉をかけようと、飼い主の異変や家の中の異変に愛犬が気付かないわけありません。

何よりも家族に対して敏感な動物なのですから。犬は、人間から分泌されるホルモンを嗅ぎつけます。病気だと気づきます。

気のせいでもなく、愛犬たちの神妙な表情、じっと見つめてくる不安な表情が胸にささります。そんなとき飼い主は、何度も何度も愛犬を見つめて囁くわけです。「ごめんね、ごめんね」と謝りながら「ママがこんなで。。」「お散歩行けなくてごめんね。」「ママと一緒に居たい?」「きっと良くなるから待っててね。」「ごめんね。」と、何度もなんども...。

そして飼い主は普段以上にあれこれと考えるわけです。

『わたしは、この子たちの世話をちゃんと出来るだろうか。』『もっと良い飼い主は大勢いる。その人達と暮らす方が幸せなのじゃないか。』

更には『手放すべきだろうか…』『きっとわたしでは十分ではない...どこかへ預けた方がいいのか…いやいや、できない…可哀想。』『この子たちは、わたしと居て本当に幸せになれるのだろうか…。』

そして『自分は大丈夫だろうか。このままだったらどうしよう…』などなど、とんでもなく不穏な考えが浮かんでくるのです。

と同時に心配そうな愛犬の目を見ては『この子たちが心配している。』『絶対に幸せにしてあげないといけない。』『キツくても最低限のことはやらなきゃ…毎日の美味しい食事やお手入れやスキンシップは欠かせない。』

『頑張らないと!一緒に幸せにならないと!』と自分との闘いが続きます。なかなか思い通りにいかない自分に焦ります。

『今日も十分には、してあげられなかった…』と。

そんな毎日が4ヶ月ばかり続いたのです。

飼い主は、なぜか愛犬に対して、〝してあげられなかった後悔〟や〝もっと…〟と思うものです。

愛犬を亡くした飼い主さんたちは、必ずあれこれと後悔すると言われます。不思議ですね。飼い主として全力を尽くしているはずなのに。なぜか後悔します。

ペットは何も語らず、無償の愛で真っ直ぐに飼い主に向き合ってきます。最も美しくて愛おしい動物だからでしょうか。人間のように複雑でなく、なんの陰りもないピュアな存在。飼い主にとって大切な大切な宝物なのです。

わたしにとっては家族の中心です。そんな彼らに心を尽くしても、まだ足りない…もっと…と、思ってしまうのは、わたしだけではないと思います。自分が不調なときの愛犬への申し訳ない思いは、他の飼い主さんからもよく聞きます。全てが不調だった数ヶ月は、愛犬との暮らしに不安がいっぱいでした。

愛犬の愛情を感じたこと

絶不調な数ヶ月のわたしは、不安を抱えながらも愛犬とずっと一緒に居たわけですが、愛犬の様子には非常に驚きました。

心が痛みながらも、とても癒されたのは確かです。

わたしを立ち上がらせたのも愛犬でした。いつもより大人しい愛犬たち。横になっているわたしにピッタリとくっついて、いつも寝ていました。いつものようにわちゃわちゃと2匹で遊びません。いつもなら食事の時間に必ず起きて活動を始めるのに寝ていました。

ぼちぼちと動いているわたしの行動を見計らうように動き始めます。本当に不思議。

わたしをじぃーっと見つめている視線を感じます。そして元気いっぱいに駆け寄って食事を平らげるのです。口の周りを濡らしてぺちゃぺちゃとスープご飯を平らげ、おかわりを待っているのか?汚れた間抜け顔に癒され笑顔にしてくれます。チキンスープや野菜スープを一生懸命作って良かった〜と、達成感を感じさせてくれます。『やっぱり作って良かった。』と、思う瞬間でした。

食欲旺盛ですが走り回ることなく静かに過ごすので、今度は逆に心配になりました。「おしっこしてね〜」「うんちしてね〜」と言うと、そそくさとトイレにむかう愛犬たち。普段よりお利口さんで助かりました。トイレの声掛けのしつけは、とても良い気がします。

ご褒美を見せて呼ぶと、元気に駆け寄ってくる。飼い主の期待は裏切りません。

不調な飼い主のことをよく解っているのだと思い知らされます。とにかく、不調な数ヶ月は、元々大人しい愛犬たちですが一層大人しく良い子でした。

文句も言わず、従順で素直に喜びを表現する愛犬たち。なんて純粋で温かい生き物なのでしょう。そして愛犬たちは、わたしの手を離さず、見捨てることなく傍にずっと居てくれました。

助けてもらった感がいっぱい、共に暮らしを立て直したという感じでした。まさに愛情たっぷりの家族。群れで協力し合いながら暮らす犬たちには、お互いに助け合うという愛情があるのだという単なる知識だけでなく、不甲斐ないわたしは全身で感じたのでした。

可愛い愛犬

不調な期間どんな風に過ごしたかというと…

わたしの絶不調といっても寝たきりで起き上がれないわけではなかったので、寝坊はしても朝昼晩と規則正しく愛犬たちの世話を欠かしませんでした。トイレを清潔に保ち、食事を与え、愛犬たちの部屋、行動範囲は掃除する。

自分のことよりも、愛犬たちの普段の世話はどうにかこうにかすることができた…というより、それだけは!という強い気持ちでやり通した感じです。時間のかかる手作りの食事も作り、フードの管理など。少々手抜きをしても支障はないはずですが、家の中で出来ることは結局、欠かせませんでした。怠る自分が許せない気持ちと、愛犬への愛情のかたちとしてでしょうか。しかしながら、飼い主が倒れてしまえば、愛犬たちは死んでしまいます。食欲がなくとも食べること、養生することは基本です。

トリミングやケアも必要です。トリミング、毎日のブラッシングやお手入れ、愛犬の全身のチェックは欠かさずできた気がしています。ただ一番悔やまれたのは、一緒の外出ができず、お楽しみのお散歩ができないということ。この日々に愛犬たちはストレスを抱えたはずだと思います。 それでも温かい食事や清潔な環境は、愛犬たちにとって変わらずの心地良さだったと思うようにしています。

わたしがトイレに立っただけで顔をあげて目で追う愛犬たち。わたしは、いくら気分が悪くても、微笑み声をかける。

飼い主の声掛けや話(会話にはならないけど)にはペットを安心させ、不安を消す効果があります。外出の際、お留守番させる愛犬にシカト顔をするということをよく聞きますが、お留守番の前に体を撫で、「お留守番ね、良い子ででね。待っててね。」などなど、声をかけてあげることでお留守番中の行動が落ち着いているという実験データーもあります。

「お散歩行けなくてごめんね。」「良い子。良い子。」「ありがとね。」と、撫でてあげることは忘れませんでした。わたし自身のためにも、話しかけることは、自然なことだったと、回復してあらためて感じたことです。ペットに触れることが病床の患者の痛みを和らげるのは事実です。

回復するために効果絶大なこと

致命的な病気というわけではないわたしは、当然の事ながら少しずつ心身ともに楽になっていくわけですが…結局は、愛犬たちへの申し訳ない思いが重い体を動かした結果になりました。そして『お散歩に連れて行きたい。』わたしの強い思いでした。

暑い夏が過ぎ、気持ち良い気候になり天気の良い日が続きます。「お天気いいね〜。お外は気持ち良いよね。お散歩したいね。」

猛暑の続く季節は、散歩は控えるので心地よい季節は愛犬たちにとっても良い季節。このお散歩日和を逃したくない!ただその気持ちだけで、情けない飼い主であるわたしは、頑張るのです。キツいな〜と、思っても愛する愛犬たちとわたしのため!と思い、とにかく頑張った記憶しかありません。お散歩を頑張る…という、やっぱり情けない飼い主。

外へ出た途端に走り回る愛犬たち。こんなに走るなんて!と、まず驚きました。『そんなに嬉しいんだ〜』わたしも嬉しくなって愛犬たちの寄り道に付き合い、帰宅後は疲れて寝る…そんな日が続いたわけです。体力のない飼い主。なぜか『ごめんね』と謝ります。

できる限り、お散歩日和を逃さず、行けない日は、抱っこして少しでも外の空気を吸うという、簡単なことを頑張る飼い主でした。

1ヶ月もするとそれが習慣となり、元気回復の素となりました。昨年は、急に気温の下がる日もあって、その急な寒さに滅入ることなく、冬の天気の良い日にもお散歩や外出を楽しめるようになりました。『良かった。』と心底思いました。

愛犬たちとささやかなクリスマス、お正月を過ごし、なんだかすっかり大人になった愛犬たちを感じています。

愛犬

絶不調を乗り越えて変わったこと

飼い主が回復し立ち直り、愛犬との暮らしの困難を乗り越えた…その先には、特に何も変わらない?のが正直な感想です。

少なくとも愛犬たちは変わりなく元気で相変わらず飼い主に一途でピュア。飼い主の一挙手一投足に反応し、見つめてきます。

むしろ変わったのは、飼い主であるわたしのほうでしょうか。愛犬たちが可愛いくて可愛くて仕方がない気持ちが一層大きくなった!ということです。

愛犬が寄り添うということを心底感じたわけですから、大きな感謝の気持ちが生まれました。

少し笑えますが、毎朝毎晩、食時の時には傍らに座ってくれる愛犬たちに、きちんと挨拶をするようになりました(笑)

朝は「おはよ〜!今日も一日よろしくね。」晩は、「今日も一緒に居てくれてありがとう〜!」と、話しかけています。伝わっているかは不明ですが、ご褒美目当てで目が泳いでいる愛犬たちに本気で感謝の気持ちを述べている自分の愉快さに、愛犬との幸せな暮らしを実感するのです。

「良かった!やっぱり幸せ!」と。

愛犬の笑顔

まとめ

当然の事ながら、人は生きていると様々なトラブルがあります。愛犬と暮らしながら、トラブルを対処し、乗り越えるのはとても気を遣うものです。今回のわたしの場合は幸いにも入院や再起不能な状況でもなく、なんとか自身で対処することができる状態でした。ときに、どうにもならない状況に陥ることもあるということを心の片隅においておくべきだと痛感しました。そしてその時に、どう対処するかも考えておかないといけません。

愛犬のお世話ができる家族がいることがベストですが、そうもいかないことも。愛犬にとってどうすることが一番良いか…最善の道を覚悟をもって決めていかなくてはいけません。

高齢の飼い主さんが病に倒れ、里親さんへ譲る話はよくあります。家庭の事情で飼えなくなることも。

飼い主の困難を愛犬も一緒に乗り越えることができれば、めでたしめでたしとなるわけですが、寂しい結果になることもあります。

本当に思いもよらないことが起こるものです。飼い主にだけでなく、愛犬にも何が起こるかわかりません。犬に限らずペットは、楽しいだけのものではないことをしっかりと頭にいれておかないといけませんし、もしもの対応も考えておかなくてはいけません。

犬は、感情のある動物です。飼い主のことは誰よりも見ているし、何でもわかります。寄り添い、支えてくれる存在でもあります。飼い主には親と同じ責任があることを身をもって感じました。そして家族として守らなければいけない飼い主自身が何よりも元気でいること、どんな場合も愛犬を守っていく強い意志と覚悟が必要ですね。

長年愛犬と共に暮らしていたわたしですが今更ながら痛感した出来事でした。

〝もっとしてあげたい〟〝健康でいて欲しい〟愛犬への思いはつきません。

愛犬との暮らしが幸せであるために、自分の生き方も見つめる新しい年明けとなりました。

今年は、順調にブログの更新ができればと思っています。

最後まで読んでくださりありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

愛犬との愛

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